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最高裁判所第三小法廷 昭和54年(オ)1386号 判決

上告人

水口伸二

右法定代理人親権者

水口達彦

水口桂子

上告人

水口達彦

上告人

水口桂子

右三名訴訟代理人

平田省三

伊藤宏行

外一三名

被上告人

日本赤十字社

右代表者社長

林敬三

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人平田省三の上告第一点、第二点及び第七点について

所論の点に関する原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、是認することができ、右事実関係のもとにおいて、被上告人の不法行為責任及び債務不履行責任は認められないと原審の判断は正当であつて、その過程に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

同第三点について

原審が認定した事実の要旨は、(1) 上告人水口伸二が出生した昭和四四年一二月当時、新生未熟児の観護療養に当たる小児科、産科、眼科医としては、未熟児網膜症(以下「本症」という。)の治療のためにはその活動期の初期(オーエンスの分類のⅠ期、Ⅱ期)に酸素濃度の適正管理を行い、副腎皮質ホルモン剤、ビタミン剤等を投与することが臨床医家の間でのほぼ共通した方法であつたが、オーエンスⅣ期以上に進行した場合には右の治療法も効果はなく、病状の進行を確実に阻止する方法は存しないとされていた、(2) 原告口頭弁論終結の昭和五三年六月当時においては、本症の治療法としての副腎皮質ホルモン剤等の薬物療法は、副作用を伴う危険の方が大きいこと及び自然治癒との区別がつきにくいところから積極的な治療効果があると確認されるに至つていないこと等の理由により、本症の研究者ないし臨床医家の間では殆ど支持されなくなつていた、というのであり、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、肯認することができる。

右事実関係のもとにおいては、被上告人の経営する総合病院高山赤十字病院の眼科医下出きよ子のステロイドホルモン剤投与の時期が遅きに失したか否かについて論ずるまでもなく、右の点に関する同医師の診療上の過失責任を認めなかつた原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

同第四点、第五点及び第六点について

原審が認定した事実の要旨は、(1)下出医師が上告人水口伸二の診療に当たつていた昭和四五年初めにおいては、光凝固法は、本症についての先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めたという状況であつて、一般臨床眼科医はもとより、医療施設の相当完備した総合病院ないし大学病院においても光凝固治療を一般的に実現することができる状態ではなく、患児を光凝固治療の実施可能な医療施設へ転医させるにしても、転医の時期を的確に判断することを一般的に期待することは無理な状況であつた、(2) 光凝固治療の実施時期を的確に判断するためには眼底検査が必要であるところ、未熟児の眼底検査は、眼底の未熟性という検査対象の特殊性からいつても特別の訓練を要する特殊作業であつて、本件当時における未熟児の眼底検査についての下出医師の技術水準は、平均的眼科医のそれよりは進んでいたとはいうものの、本症の専門的研究者には到底及ばなかつた、(3) 上告人水口伸二の本症の病変は、当時の専門家にも未知な複雑な臨床経過を示した、(4) 下出医師が上告人水口伸二の眼底検査をしたのは、光凝固治療を目的とするものではなく、副腎皮質ホルモンの投与の時期を見はからうために実施したものである、というのであり、右事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして肯認することができる。

思うに、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のための実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁参照)、右注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるから、前記事実関係のもとにおいて、所論の説明指導義務及び転医指示義務及び転医指示義務はないものとしたうえ、被上告人の不法行為責任及び債務不履行責任は認められないとした原審の判断は正当であつて、その過程に所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

よつて、民法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(横井大三 環昌二 伊藤正己 寺田治郎)

上告代理人平田省三の上告理由

第一点、第二点〈省略〉

第三点 原判決はステロイド・ホルモン剤療法上の責任判断に関し、採証法則に違背し、理由不備、理由齟齬の違法があり、破毀されるべきである。

(一) 伸二のごとき未熟児を保育器に収容して、長期間に亘り酸素投与を継続するとき、未熟児網膜症を発症せしめる危険のあることは、当時予測しうるところであつたから、担当の西井小児科医師は眼科医と緊密な連携協議の上、当時の未熟児養育機関の常識であつた生後三〇日頃の眼底検査を眼科医に依頼すべきであつたのに、西井医師は眼科医と右のような協議をとげず、また本症に対する認識不足から、生後三〇日頃には伸二の一般状態が眼底検査に充分耐えうるものであつたにも拘らず、眼底検査を依頼せず、西井医師を引継いだ藤沢医師が、二月四日(生後四四日目)に至り漸く第一回の眼底検査を依頼し、実行せしめたということは、当時の適正診療基準からいつて、約二週間もおくれており、これに因り、伸二の網膜症の発見が約二週間も遅れ、かつ、下出眼科医の症状認定(診断)を誤らせるもとになつたのである。

(二) 下出眼科医は二月四日伸二の両眼底がオーエンスⅡ期の症状を呈していたにも拘らず、本症の確定診断をなしえず(その原因は下出医師自身の経験不足、研究不足に基因するが、その他に、小児科医が生後三〇日頃からの系統的眼底検査を依頼しなかつたことにもよるものである)、二月一二日の二回目の検査に至つて、はじめて両眼ともⅡ期と診断して、ステロイド・ホルモン剤投与を小児科医に指示した。

しかし本症治療薬としてのステトロイド・ホルモン剤は、発症と同時に充分な量を投与すべきことが当時の適正診療基準とされており(甲第一九号証二六四頁、甲第八五号証八頁、甲第二八号証三三頁。なお甲第九五号証八七七頁)、ステロイド・ホルモン剤の投与が本症初期の段階で約三週間(発症が第一審下出証言二四丁のごとく、二月四日の二週間以上前とすれば二二日間)も遅れたということは正に致命的欠陥ともいうべく、その診療上の過失は明白というべきである。

(三) 本症治療薬としてのステロイド・ホルモン剤の薬効は、細胞の増殖を抑制し、分化を促進するというステロイド・ホルモン本来の働らきから、網膜血管の増殖、新生に対する抑制作用があるほか、網膜の炎症、滲出、出血を抑え、浮腫をとる(第一審植村証言九丁、原審植村51.3.9日付調書四二丁、馬場一雄51.3.8付調書一一六〜一一七丁、小川51.6.22付調書二六丁)という、本症治療に対しては、まことにうつてつけの作用効果がある。

植村は勿論のこと、馬嶋(51.11.25付調書五六丁)、馬場(51.3.8付調書一一七丁)らも、本症に対する本剤の治療上の効果そのものについてはこれを認めざるをえないのである。たゞ投与するに当つては小児科的配慮が必要とされるにすぎない。

従つて本剤の本症に対する絶対無効が断定されない限り、本症初期に充分な量を投与した場合の薬効が全くなかつたと言い切ることはできない以上、伸二に対し本剤の投与が発症から約三週間も遅れたという診療上の過失と伸二の症状の悪化・失明との間には相当因果関係があるものと推定すべきである。

(四) しかるに原判決は本剤による治療効果につき、前記ステロイド・ホルモンのもつ本来的作用効果(細胞の増殖を抑制し、分化を促進することから、網膜の炎症、滲出、出血を抑え、浮腫をとる)、及び前記植村、馬嶋、馬場(一雄)、らの肯認する本症に対する治療効果に関する証言を何ら理由も示さないで一方的に無視し、今日では「殆んど積極的評価の与えられていない」(一七枚目表)ものとか、現時点では「殆んど無効と評価されている」(五三枚目表)ものと勝に認定しているのであうて、この点において採証の法則に違背し、判決に影響を及す法令違背がある。

しかも原判決は本剤が本症の治療につき「殆ど積極的評価の与えられていない」ものとか、「殆ど無効と評価されている」というだけで、それが絶対無効であるとは断定していないのであるから、伸二の本症初期に充分な量が投与された場合の薬効が全くなかつたものとは言い切れない筈であるにも拘らず、短絡的に「下出医師の本剤投与の指示時期が遅れたかどうかを問うことは同医師の責任の有無を判断するうえではもはや意味がない」旨結論づけている(一七枚目表、五三枚目表)のであつて、この点において理由不備、理由齟齬の違法があり、破毀を免れない。

第四点 原判決は下出眼科医が昭和四五年三月九日上告人に対して時期におくれた転医の指示をした責任の有無の判断につき、審理不尽、理由不備の違法があり、破毀されるべきである。

(一) 原判決は未熟児網膜症に対する治療法としての光凝固法の有効性については、医学界並に臨床医家の間に確認されているとし(二四枚目裏)、伸二は昭和五四年二月一二日から三週間内(すなわちおそくとも同年三月五日――原判決が三月三日というのは恐らく違算であろう――ころまでの間)に光凝固治療をうけなければ、両眼が失明を免れえた可能性は大であつた事実、従つて、下出医師が昭和四五年三月九日なした天理病院への転医指示は光凝固治療をうける時期を徒過していた事実をそれぞれ確定している(一八枚目裏)。

ところが、原判決によれば、昭和四四年末ないし昭和四五年初めにおいては、光凝固治療は本症の先駆的研究家の間で漸く実験的に試みられ始めた段階であり、一般眼科臨床医家の間では特別に関心をもつ者以外には、右治療法に関する正確な知識は殆ど普及していなかつたことが推認されるから、被上告人病院で一般の診療に従事していたにすぎない下出医師が仮に光凝固治療のための転医の指示をしなかつたとしても責められるべき筋合ではなく(四一枚目表)、また下出医師は光凝固治療を念頭において診療に当つていたわけでもなく、その証拠もないから、本来右の転医指示をしなくても医師として責めらるべきではない(五三枚目裏、五五枚目表)としたうえで、下出医師が三月九日時期におくれてなした転医の指示は、積極的に伸二の本症治療の一環として決定したというよりは、尽すべき診療行為をなした医師が、医師としての立場をこえた半ば個人としての同情心に促されてなした行為ではないかと考えられ(五四枚目表〜裏)、医学上は無意味な医療行為(五五枚目裏)であるから、右指示に基いて新規治療法をうけたところが何らの効果もなかつたからといつて、右指示をした医師を非難すべき理由とはなりえないものと断定している(五六枚目裏)。

(二) しかしながら、下出医師は被上告人病院未熟児センターの眼科管理担当医師の立場にあつたものであるから、一般眼科臨床医と比較して当然に、より高度な医学水準、医療水準に基く善管注意義務が要求される筈である。従つて本件当時(昭和四五年初)、いかに一般眼科臨床医家の間で光凝固治療法に関する正確な知識が殆ど普及していなかつたからといつてみたところで、当時の未熟児センター眼科管理担当医師の間における右治療法に関する認識、知見の程度、普及度等の医学水準を吟味、確定することなしには、直ちに原判決のいうような、下出医師が仮りに右治療法のための転医指示をしなくても責められるべき点はなかつたとの判断を導き出すことはできない筈である。

従つて右の点の確定を怠つた原判決は審理不尽、理由不備の違法がある(上告理由第一点参照)。

(三) 次に、下出医師の第一審証言によれば、昭和四五年二月二七日の通知票(甲第二号証の五)を書くころ、伸二はステロイド・ホルモンも効果がなく、自然寛解も絶望で、このまゝでは失明の危険さえ予測していたのであるが、未熟児のため天理への移送には耐えられないものと一人で頭からきめつけており、その段階で小児科医と転医のためのつきつめた協議もしなかつたと証言しており(第一審下出証言調書四二丁〜四六丁)、さらに原審証言によれば、伸二に光凝固法を受けさせる考えは二月末か三月のごく初めから頭の中にあつたが、三月六日網膜剥離を認めてオーエンスⅢ期と断定してから、光凝固法の適用を考え始めたというのである(原審下出51.2.24付証言調書四九丁〜五〇丁)。

してみれば、下出医師が光凝固治療を念頭において伸二の診療に当つていた事実は歴然としているのであるから、同医師が同治療法を念頭においていなかつたものとして、それを理由に転医指示義務を頭から否定した原判決は全く証拠を無視し、採証法則を誤つた独断というべく、理由不備も甚だしい。

(四) さらに原判決は三月九日の下出基師の時期におくれた転医指示は、伸二に対する治療の一環として決定したというよりは、なすべき診療行為を尽した末の、医師の立場をこえてなされた医学上無意味な行為であるから、上告人らはその結果については責任を問いえない旨の判断をしている。しかしながら、

① およそ医師たるものは自らなしうる最高最善の診療行為をさえ尽せば、それで医師たることをやめるのではなく、最悪の結果を回避するため必要なあらゆる措置を講ずべき注意義務があることは当然であるから、そのためにさらに高度な医療行為を期待しうる他の医療機関へ転送するべき必要性ありと判断したときは、たとえそれが未だ医学界に治療法として広く定着するまでに至つていない先駆的治療手段であつても、直ちに然るべき適正措置を講ずるべき高度の善管注意義務があることは条理上当然である(最判昭和三六・二・一六民集一五巻二号二四四頁参照)。

② しかも医師のとつた医療措置が医学上意味のあるものであるか否かは、当該医師がその措置をとるに至つた動機、心情、その医師のもつ医学知識の程度等の個人的主観的事情から判断すべきではなく、専らその措置のもつ科学的意味内容を客観的に考察して決定すべきことは勿論であるところ、本症に対し光凝固治療が有効で、伸二に対し二月一二日から三週間以内にこれがなされたならば失明を回避しえたことは原判決も認めるところであつて、光凝固自体が伸二にとつて医学上十分に意味のあるものでありえた以上、光凝固のための転医を指示した下出医師の措置が、仮に窮余の一策であろうと、また光凝固法に関する同医師個人の医学知識が必ずしも完全なものでなかつたにしても、それがために右転医指示が医学上無意味な所為となる理由は全くない。

③ 加うるに、いやしくも未熟児センターの眼科管理担当医師たるものが、自己の専門領域に関する疾病の治療法につき、種々思索をめぐらした結果「これしかない」(第一審下出証言調書七〇丁裏)と判断し、それが失明回避の必要措置なりと認めて、担当の馬場小児科医とも相談の上(第一審下出証言調書四〇丁表、四二丁表、四四丁裏、原審下出52.2.24付証言調書五〇丁表)天理病院まで転医せしめた以上、下出医師の光凝固治療法に関する医学知識において欠けるところがあつたにしても、右転医指示が同医師個人の同情心から出たものかどうかの主観的事情はともかくとして、それがために右転医指示自体が医学的には勿論、法律的にも無意味な医療措置であつたなどといえる道理は全くないのである。

(五) 然りとすれば、下出医師の前記転医指示の遅滞はやはり問題とならざるをえないのであつて、仮に下出医師の光凝固治療法の実施時期に関する認識においては許し難い誤解があり、そのために右の転医指示が遅れ、結局右治療が不奏効に終つたとするならば、やはり下出医師の右転医指示の遅滞は善管注意義務違背として、被上告人の責任を否定することはできない筈である。

されば下出医師が昭和四五年三月九日になした転医指示(それが光凝固治療をうける時期を待過していたものであることは原判決の確定するところである。原判決一八枚目裏)と、さらにおくれて現実になされた三月一六日の転医措置(原判決は三月一七日というが――原判決一七枚目裏――間違いである)の各遅滞につき、下出医師及び馬場医師の過去または被上告人の診療契約上の債務不履行責任の有無を判断するためには、まず当時下出医師が本症に対する光凝固治療はいつまでに実施すべきものと考えていたのか、もしその考えに誤解があつたとすれば、それが当時未熟児センターの眼科管理担当医として許されないものでなかつたかどうか、並びに、未熟児センターとして馬場小児科医と下出眼科医との連携・協議の体制に欠陥はなかつたか否かの三点を検討しなければならないのであつて、その上でなければ右下出医師らの過失または被上告人の診療契約上の責任の有無を判断することはできない筈である。

しかるに原判決はこの点に関する上告人らの主張を全く無視し何らの検討を加えないで、被上告人の責任を否定したものであつて、審理不尽、理由不備の違法があるというべきである。

(六) この点につきさらに述べるに、下出医師は伸二の二月一九日、二〇日の増殖性網膜炎の初期像(甲第二号証の三、四・乙第六九号証の一)を現認しながらも、これがオーエンス活動期Ⅲ突入(甲第一四号証一五六頁)と理解しえなかつたという(原審下出52.7.7付証言調書二〇丁)誤診にはじまり、網膜剥離が出る前はⅡ期の範囲であり(原審下出52.5.10付証言調書七六丁)(実際は網膜剥離が起ればⅢ期の晩期である。甲第一四号証一五六頁)、光凝固は網膜剥離が起きてからでも手遅れではない(同52.5.10付調書六七丁、七三丁)(実際は本症の光凝固は網膜剥離の予防を最終目的とする手術であるから、網膜剥離の起る前を狙うべきであり、剥離が起れば手術は手遅れとなることは当然。永田誠甲第一一号証二八頁右欄、二九頁左欄、三〇頁左欄。なお、三〇頁所掲の答弁(1)、(4)。永田誠甲第一五号証七二六頁左欄)とする、重篤な本症患児を管理すべき未熟児センター眼科管理担当医師としてはあるまじき一連の基礎的知識の欠落及び下出医師が勉強した筈の前記引用の永田論文に対する無理解ないし誤解のため、三月六日限局性の網膜剥離を認めてから漸くⅢ期と判断して、光凝固の具体的適用を考え始め、馬場小児科医師に相談したというのである(原審下出52.2.24付証言調書四九丁、五〇丁)。

しかしながら網膜剥離が起れば失明につながると考えるべきは眼科学の基礎的常識であり、これでは光凝固の手遅れは歴然としており、被上告人病院の未熟児センター眼科管理担当医としては、余りにもお粗末といわざるをえない。

光凝固適用の時期について、下出医師が勉強したという永田は最初の発表以来、増殖性網膜炎の初期像をとつてきた時点すなわちⅢ期の初を適期としており、網膜剥離が起れば光凝固は不可能(無効)となると述べているし(甲第一一号証、甲第一五号証の前記引用部分)、いずれの術者も網膜剥離の起るⅢ期の前までに実施していることは乙第六二号証九五頁所掲第四表で明らかであるが、これは至極当然のところである。

原判決も本件当時下出医師の光凝固に関する知識は、その実施時期に関するものだけに限つてみても、当時光凝固について特別の関心を抱いていた眼科医の平均的知識からいつても甚だ不十分なものであつたとしている(五二枚目表)。

尤も、こゝにいわゆる実施時期とは前後の文脈からいつて光凝固の『奏効期間』をいつているものであり、上告人が述べた光凝固を実施すべき時期のことではないようである。

(七) 加うるに、本症に対する有効な光凝固の応用治療に関する医学知識は、永田誠医師の昭和四二年秋第二一回本臨床眼科学会における講演、昭和四三年四月臨床眼科二二巻四号(甲第一一号証)、ならびに四三年一〇月眼科一〇巻一〇号(甲第一六号証)による発表を通じ、広くわが国一般眼科臨床医の知るところとなり、さらに四四年一〇月再度永田らが第二三回臨床眼科学会において四症例の追加発表をなし、今や光凝固法による治療は確実となつた旨を報告(甲第三三号証)するに及んで、右治療法に関する医学知識は眼科医界に、より一層滲透し、ことに未熟児センター等の未熟児を専門に取扱う医療機関において、本症の重篤な患児を管理する眼科医にとつては、本症の重症例に対する有効確実な治療法としての光凝固法の適用に関する医学知識は広く水準的なものとなつたのであつて、このことは日本臨床眼科学会はわが国の臨床眼科医の約四分の一に相当する一、〇〇〇名もが毎年集るポピュラーなものであり(永田誠第一審証言調書四二丁)、また「臨床眼科」「眼科」等の雑誌も普通の眼科開業医が一般に購読するものである(第一審塚原勇証言調書二一丁)ことからも推定しうるところである。

永田の光凝固法に対する追試状況をみても、昭和四四年三月には田辺・池間(甲第八七号証一五頁、施行時期はオーエンスⅢ期初、二〇頁)、同年同月浅山(甲第一二一号証七三頁、施行時期はⅡ期からⅢ期移行期)、四四年一一月上原ら(乙第二二号証一八六頁、施行時期は永田と同じⅢ期初、一九〇頁)、四五年一月大島ら(乙第二六号証七〇二頁、施行時期は永田と同じⅢ期初期、七〇二頁)が、着実にその有効性を実証しつゝあつたものであつて、本件当時、すでに本症治療法として有効な、オーエンスⅢ期初における光凝固法の応用治療に関する医学知識はひとり永田のみのものではなく、本症重症例の眼科管理担当医師共有の医学知識となつていたことは明らかである。

また本症治療法としての光凝固法の適用のごとく特殊専門的治療法は一般眼科臨床医のレベルにまで普遍化されることを期待するのは無理であり、その必要は全くないものである。失明防止のためには光凝固実施機関への転医措置をとれば充分であるからである。

なお、どんな手術でも種々な術式がありうるのであつて、本症治療法としての光凝固法の術式が統一されなければならぬ必要性は全くなく、各人が各場合により臨機応変に最適と考える術式を用うれば足りる。

しかしどのような術式を用いようとも、その実施時期は当然のことながら、オーエンスⅢ期晩期の網膜剥離が起る前までに行わねばならぬことは、彼此一貫して変らぬところである(前掲乙第六二号証九五頁所掲第四表参照)。

(八) しかるに原判決は、医師会が本件第一審判決後に訴訟対策として作り上げた乙第五四号証を以て金科玉条となし、本症の診断基準並びに光凝固施行時期がこれによつて初めて一応の統一をみたかにいうけれども、右乙第五四号証に盛られた診断基準はオーエンスの分類と実質的に少しも異なるところはないし、本症治療法としての光凝固をオーエンスⅢ期晩期の網膜剥離が起る前までに実施しなければならないことも、終始一貫して変らぬところである。

また原判決は四八枚目表において、光凝固治療が本症の専門的研究機関たる眼科医学界並びに臨床医家の間に普及定着したのは、昭和四七年以降であると断定しており、この点は「すでに認定したとおり」であるとする。しかるに原判決理由のすべてを検討してみても、右の事実認定がなされた箇所を見出すことはできないのであつて、この点は採証法則を無視した全く証拠によらざる断定といわざるをえない。

さらに原判決は昭和四七年以前においては、一般眼科臨床医はもとより、医療施設の完備した総合病院ないし大学病院ですら光凝固治療を一般的に実施しうる状態ではなかつたし、患児を光凝固実施機関へ転医するにしても、その時期の的確な診定を一般的に期待することは無理な状況であつたという(四八枚目表裏)けれども、さきに述べたとおり、本症治療法としての光凝固法の適用のごとく特殊専門的治療法は、未熟児を専門に扱う医療機関レベルにおこる普及を以て必要かつ充分とすべきであるし、また患児を同治療法のため転医するにしても、その前提として必ずしも同治療法を実施すべき適期を診定する必要はないのであつて、要はオーエンスⅢ期の網膜剥離が起る前までに実施すべきもの(すなわち網膜剥離が起きてからは手遅れである)という、初歩的基礎知識さえあれば、それで必要かつ充分であつたのである。転送機関の医師に、光凝固実施機関の医師と同等の高度な医学知識を要求する必要は毛頭なかつたのである。

これらの点において原判決は十分なる考察、検討を加えず誤解があり、その説示には納得しえないものがある。

第五点 原判決は下出医師の誤診に基づく責任の有無の判断につき、理由不備、理由齟齬の違法がある。

(一) すなわち、原判決は下出医師の上告人伸二に対する眼底検査に基く診断は、初診時からオーエンスの分類からすれば、Ⅰ期づつ(原判決がⅠ度というのはⅠ期の誤りと思われる)判断のずれがあり、誤診の連続であつたことはこれを認めながら(五八枚目)、右誤診は伸二失明との間に相当因果関係がないものと断定している(六二枚目表)。

そしてその理由とするところをみるに、

① 下出医師のなした眼底検査は光凝固を目的とするものでなく、ステロイド・ホルモン剤投与の時期を見はからうために実施されたこと。

② 同医師の未熟児眼底検査の技術水準は平均的眼科医より進んではいたものの、本症の専門研究者には到底及ばなかつたこと。

③ 伸二の病変は専門家にも未知な複雑な臨床経過を示したこと(いわゆるⅠ型に近い混合型であつたこと)。

④ 光凝固を適時に実施しない限り、ステロイド・ホルモン投与のみでは、いかなる眼科医も患児の失明を避けることができなかつたこと。

以上の事実を総合して、下出医師の誤診と伸二失明との間の相当因果関係の存在を否定しているのである。

(二) しかしながら、前記①ないし③の事実は何れも、下出医師の誤診と伸二失明との間に相当因果関係なしと結論づけるには、筋違いのものばかりであり、原判決が前記四箇の事実からいかなる思考過程を経て右結論に到達したものかは全く不明であり、この点において原判決は理由不備ないし理由齟齬の違法がある。

(三) すなわち、およそ原判決の下出医師の注意義務違反を判断する考え方の基底にあるものは、いわゆる具体的過失論の考え方であり、専ら下出医師の診療態度、診療目的、光凝固法に関する知見の程度、内容等その現にあるもののみを判断の前提に据えて注意義務違反の有無を論じており、被上告人病院未熟児センターの眼科管理担当医師としていかなる診療をなすべきであつたか、及び当時わが国における未熟児センターの眼科担当医師は光凝固法に関していかなる認識・知見をもつていたか、の抽象的過失論の視点に立つた考察が全く欠けている嫌いがある。

前記①②③の事実はこうした原判決の考え方に基く過失判断の前提事実にすぎないものであつて、およそ失明との因果関係の存否を論ずるには的外れの事実関係というべきである。僅かに④の事実のみ極めて短絡的な立言ながら、失明との因果関係判断の前提事実として考えられないではないが、しかしこれとても、さらに「下出医師の誤診の有無にかゝわらず、すなわち誤診がなくても、伸二に対し光凝固に実施することは不可能であつた」という事実をも併せて確定しない限り、④の事実からは誤診と失明との相当因果関係を否定する結論は導きえない筈だからである。

(四) なお、①仮に下出医師が伸二に対しなした眼底検査の目的が単にステロイド・ホルモン剤投与の時期を診定するだけの目的であつたとすれば、そのこと自体、却つて下出医師の診療上の不注意が問題となろうし(事実は下出医師は光凝固適用をも考慮しつゝ、眼底検査を実施していたものであることは、第四点(三)で述べたとおりである)、

② 下出医師の眼底検査の技術が本症の専門研究者には到底及ばなかつたということは、被上告人病院の未熟児センターの眼科管理担当医師ともあろうものの、余りほめられたことでもなく、

③ 伸二の本症がⅠ型に近い混合型であるといつてみても、その中身は下出医師の証言によれば、三月六日網膜剥離が起きてから後に、急速なステージが進行したということにすぎず(原審下出52.5.10証言調書七五丁、七六丁)、光凝固は網膜剥離の起る前の段階で受けさすべきであつたのであるから、この点は下出医師の治療上の責任に何ら消長を来すものでなく、

④ ステロイド・ホルモン剤投与法の絶対無効の事実を確定しない限り、「ステロイド・ホルモン剤投与のみでは、いかなる眼科医も患者の失明を避けることはできなかつた」と断定することはできない筈である。

さらに、伸二に対する光凝固治療実施時期の遅滞が、下出医師の誤診と誤解に基因するものであつた点については、第四点(六)において述べたとおりである。

(五) 以上述べたところにより、下出医師の誤診と伸二の失明との間に相当因果関係なしとする原判決の判決理由は合理性がなく、到底納得しうるところではないのであつて、理由不備、理由齟齬の違法があるというべきである。

第六点 原判決は被上告人病院医師の上告人らに対する伸二の療養方法等説明指導義務違背の判断につき、審理不尽、理由不備の違法があり、かつ、判決に影響を及す法令違背がある。

(一) まず原判決は上告人らの主張を誤解している。すなわち、上告人らは下田医師らが上告人らに対し、おそくとも下出医師がステロイド・ホルモンの効果もなく、自然治癒も絶望で、このまゝでは失明するかも知れない危険を藤沢小児科医に話したという二月二七日の時点において、その事実を上告人らに説明していたならば、上告人達彦は直ちに全国の大学病院眼科へ治療法の照会をなし、その結果永田の光凝固法を知らされていたであろうことは必定であり(甲第一〇八号証乃至一一一号証参照)、その知見に基き担当小児科医との相談の上、手おくれにならぬうちに(三月五日頃までには)天理病院へ転医して永田の光凝固をしてもらい、助かつていた筈である旨主張したのである。

従つて上告人らの右主張が、本件当時光凝固が被上告人病院の眼科において一般的に採用(転医措置をも含めて)されていた治療方法であることを前提するものでないことは一読して明白である。

然るに原判決は上告人らの主張が恰も右のことを前提とするもののごとく誤解した上、右前提理由がないから、上告人らの右主張も失当であると判断しているのであつて(六三枚目裏)、この点において原判決は審理不尽、理由不備の違法があることは明らかである。

(二) 次に原判決は医師が患者に対して負うべき診療上の義務としては、自己の専門診療科目について臨床医が一般的に採用している医療方法に準じて告知すれば足りるのであつて、新規開発の治療法で未だ学界並びに臨床医家の間に広く支持をうけるに至つていないものについては、これを告知すべきものではないと断じている(六四枚目)。

しかしながら、医師は人の生命、健康の管理者として、最悪の結果を回避するために必要な万全の措置を講ずるべき注意義務がある。そして医師の措置、不措置につき、健全な社会一般人の社会通念に照らし、社会的非難に値するところがあれば、その医師ないし使用者または診療契約上の債務者は責任を免れない。

従つて新規開発ないし新規適用の治療方法であつても、それを用うべきことが社会通念に照らし期待され、要請されるべき特段の事情のある場合には、担当医師は患者側に対しこれを説明すべきは勿論、自らもこれを用うべく適正措置を講ずるべき高度の注意義務があるものというべきである。

例えば上告人伸二の症例におけるごとく、まさに最悪の結果(失明)に立至らんとする予測が可能となつた極限状態に陥つた症例において、他方これを救いうる、学理にもかない(植村第一審調書二五丁裏)有効確実とされる治療法が未だ広く開発され、現に成効症例の学界発表も追加されつゝある状況(甲第三三号証)にあるならば、仮に右治療法が未だ広く医界において採用されるまでに至つていない先駆的治療法であつても、担当医師が専門医の水準知識として同治療法を知つている限り、患者の最悪の結果を回避するためには、同治療法を早目に患者側にも説明して、患者の自由な意思と責任において自らその治療法を選択するの機会を与えるべきは勿論、医師自らも患者側の同意をえて、その治療法をうけさせるべく、疑問があれば問い質すなど右治療法の実施機関、実施医師とも十分に協議・連携の上、適正措置を講ずるべきことは、まさに医師のもつ社会的職責に照らし、社会通念上もしくは条理上、当然要請され期待されるところであるといえる。

このような場合、仮に担当医師が極限状態に陥つた患者を救いうる唯一の有効確実とされる治療法の存在を、水準的知識として自ら知つていながら、右治療法に関する自己の医学知識が未だ完全でないため充分に確信が持てないとか、右治療法が未だ広く医学界に普及定着するまでに至つていないからというだけの理由で、これを患者側にも知らせず、自らもこれをうけさせるべき必要な手立てを何ら講じないで、みすみす最悪の結果を招来させてしまつたとするならば、その医師は自ら医師としての社会的職責を放棄したものとして強く非難されてもやむをえないのであろう。

他方、有効な治療法もなく失明寸前の極限状態に追いつめられた患者が、既に他の医療機関において実施され有効確実とされている新規適用治療法をうけるのに、自己の担当医師個人の単なる同情心や親切心にすがるしか途がないとしたら、これほど不条理で情けない話が世にあるであろうか。

(三) 下出医師は伸二の失明の危険を予測した二月二七日の時点において、本症の進行状況、失明の危険性、光凝固法の存在、症例発表の経過等の自己の知れるところ、および疑問点があればそれも含めて、すべてを上告人側に説明して、上告人側の自由な意思と責任により自己決定権の行使をさせ、光凝固法を選択するの道を開いてくれるべきものであつたのであり、また診療事務の受任者たる被上告人としても、二月二三日には担当医師において伸二失明の危険を予測したという委任事務処理上まことに重大な事態が発生した以上、上告人からの請求をまつまでもなく、委任者たる上告人らの利益のために委任の本旨に従い、将来のために委任の本旨に従い、将来の治療方法等を含めて診療事務処理の現況等一切につき、報告、説明、指導をなすべき義務があつたことは民法六五六条、六四五条の解釈上当然である。その結果上告人らが、自由意思に基いて、かつ、自己の責任において光凝固法の選択したのであれば、被上告人並びに担当医師としては法律的にも倫理的にも、人体実験をしたなどといつて非難される余地は全くなく、却つて医学の進歩のためにも歓迎さるべきことであり、むしろそこまでやつてこそ、初めて医師としての善管注意義務を完全に履行したものといえるのである。

失明はまさに死にも比肩すべき重大な法益の侵害である。未熟児の全管理を患者側から一任された医師ないし病院としては、常に細心の注意を以て患児の状態、見とおし、今後の治療方法等について考究し、患者側に対する療養方法等の説明指導にあたつては、より一層懇切・丁寧に、かつ最善の注意義務が要求されるものである。

(四) 他に有効な治療方法もない、極限状態に追いつめられた患者は、たとえ新規開発ないし新規適用の治療手段であつて未だ医学界に普及定着するまでに至つていない先駆的治療法であつて、自己の自由意思と責任においてこれを受ける権利は基本的に当然あるのであるから、担当医師個人の恣意によつて、この患者側に残された最後の健康追求の基本的権利(憲法二五条一項)を抹殺することは、条理上許されることではなく、また右患者の有する基本権の侵奪を、結果において承認することとなる原判決の解釈が誤つていることも明らかである。

(五) 原判決は以上の点において、医師の療養方法等説明指導義務の解釈を誤り、民法四一五条、七〇九条、七一五条を適用しなかつた違法がある、判決に影響を及す法令違背があるというべきである。

第七点〈省略〉

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